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本行寺の祖師堂に安置されている日蓮聖人像は、上の山のお祖師さまの名で親しまれている。大覚大僧正開眼といわれるこのお祖師さまは、服部上の山本照寺が、天文の法乱に焼け落ちた時、密かに何者かによって岡山に逃れたという。しかし夜な夜な、お堂の中から泣き声がするので、堺の地に移された。そこで又泣き声が絶えないので、早く高槻に帰そうということになった。
その後久しく何処に移されたかわからなかったが、法華宗禁制下の高槻の西天川村礒村氏宅の倉の中で、夜祖師像の泣く声がするという噂がたった。この表現がいかにもおもしろいと思う。有力者の倉の中である。人はそこに仏像がかくされているとは口に出して云えない。そこで夜通ったら泣き声を聞いたと表現するのである。
法華宗の禁制がとかれて本行寺が創立され、このお祖師さまは泣くことをやめたと伝説は語っている。しかしお祖師さまは泣いてなんかいらっしゃらなかったに違いない。只涙を流し続けておられたことだろう。ほかでもない。いつもお祖師さまはとめどもなくわきあがって来てどうにもならない涙でぬれた魂で、法華経のことを思いいたされていたのであるから。


一般に大黒さまというと、大きな袋を肩にかけ、右手に打出の小槌を持ち、米俵の上に立ち、そしてニコニコと笑っておられる様子を思い浮べます。しかし、このようなお姿は、鎌倉時代後半から室町期にかけて現れ始めたようです。
インド本来の大黒天はと申しますと、一面六臂、一面八臂か或いは三面六臂(三つの顔と六つの腕を持っている)の形相で、少しも福神らしい面影はなく、恐るべき戦闘神でありました。インドの神々は、その力の象徴として、多面多目多臂の形相が多く見られます。それがインドにおいても、中国唐の時代には、食物・施薬・魔除けの神として食堂などに祭られるようになりました。
中国を経て日本にやってきた大黒天は、大国主命と習合するという一大変貌を遂げました。大国主命を音読みすれば「だいこく」であるために、大黒天と合体したのだと云われています。このためにネズミが大国主命を救ったという伝説に由来して、大黒天の縁日が甲子になったのです。
インドで生まれた大黒さまは、このように変貌を遂げ、時の流れを司り、魔除けの神、施薬の神、富・出世の神、食物の神、家屋・子孫繁栄の神等として広く信仰され、現在に至っています。こうした福徳円満なる「福神」としての性格が強まり、反面「戦闘神」としての性格が弱まってきたなかで、厳しい形相から笑みを湛える現在のお姿に変わってきたようです。
宝袋を背負い、打出の小槌を持って、米俵の上に乗っていれば、誰だって笑っていられるような気がします。しかし、どんなに幸せそうに見える人でも、辛さ、悲しさ、悩みを抱えて生きています。それでも、それをそっと胸の内に秘め、或いは握りこぶしの中に隠してでも、心から優しく微笑んでいようとすることが、大黒さまの修行だと思います。
大黒さまは、多くの財宝を持っているから笑っているのではなく、笑っている大黒さまの処へ、それらが誘われ、やって来たのです。
笑いに始まり笑いに終わる福神は、「笑う門には福きたる」という格言に言い尽くされているように、笑うこと自体が福を招く祝言であり、福神は七福神の軸画に見られるような笑いの神でもあったのです。

