〒569-0078
大阪府高槻市大手町2-43
電話:072-675-0006
あのね お上人。こないだテレビ見てましたらね。アルツハイマー病のことやってましてね。私もこの頃、物忘れ多なったんで、心配になってね。息子に「私も検査してもらおうか?」言うたんです。そしたらね、息子いうたら「大丈夫や、お母さんのは天然や!」て言いよりますねん。お上人、どない思います?
六十五才 女性
あのね お上人。うちの主人ゆうたらね。コタツに足つっこんで、一日中テレビ見てはりますねん。たまにおれへん思うたら、トイレですわ。そやから私「そんなことしてたら、終いにお尻から根生えるで!」て言うたりましてん。そしたらね、主人いうたら「あほ!根生やす元気もないわ!」て言いよりますねん。
七十才 女性
あのね お上人。うちの主人が病気になって、もう一年になるんですけどね。主人ゆうたら、先生に何度言われても、私がどない言うても、歩こうとしはりませんねん。そやのにですよ。孫がね「おじいちゃん!リハビリせないかんで!」言うたら、「はい!」て答えて、ちゃんとしはりますねん。えらいもんですわ。
七十才 女性
あのね お上人。病院通いが仕事になったら、終いですわ。そやけど、お医者さんへも行けんようになったら、ほんまに終いですからな。
七十五才 男性
あのね お上人。こないだ親戚の法事によばれましてね。膝が痛かったんですけど、仕方おませんやろ、辛抱して座りましてん。そしたら、次に日、案の定、膝が痛うなってねぇ~注射打ってもらおう思うて、私泣きもってお医者さん行きましてん。先生に話したら「そんなことするからや!」て、言われたんですけど、仕方おませんがなぁ~。
七十才 女性
あのね お上人。わし 畑借りて家庭菜園はじめましてん。水運ぶのえらいし、買うたほうが安うつきますのやけど、自分で作った野菜やから安心やし、何か いとおしいてね~。気のせいかもしれんが、おいしい感じますんや。
六十五才 男性
あのね お上人。うちの主人が亡くなって、もうすぐ一年になりますやろ。そやのに、私、一回も主人の夢見たことありませんねん。それでね、こないだ、私の誕生日の前日の夕食の時にね「普通、一遍くらいは夢枕に立つもんやで!」て家族に愚痴りましてん。そしたらね、小学校行っとります孫娘がね「おじいちゃん、今頃、若いおねえちゃんとお酒飲んではるわ!」て言いよりましてん。でもね、次の日ね、孫が学校行く前にね「おばあちゃん、手紙が届いてたから、お仏壇のところに置いといたで、ちゃんと読んどいてや!」言うて、出かけましてん。私、変なこと言う子やなぁ思いもって、仏壇とこ行きましたら[○○へ]て私の名前書いて[お誕生日おめでとう おまえは長生きせえよ ○○より]て主人の名前書いてますんや。孫が書きよりましたんやがなぁ、でもね私、その手紙見たとき、涙が止まりませんでしたわ。
八十才 女性
七十、八十は、ハナタレ小僧じゃ!。
百才 男性
あのね お上人。うちのお母さんね お上人のこと『御主さん』て呼ばはりますでしょう。さっき お上人が来られた時にね。奥からお母さんが「御主さん来はったから、お迎えして」て、言われてね。私 どこのおっさんが来はったんやろって思ったんです。
四十才 女性
あのね お上人。家立てたばっかりやのに、春から転勤になりましてね。子供らの学校のこともありますし、単身赴任してますねん。これから会社辞めるまで、家族といっしょに暮らせん思いますわ。
四十五才 男性
あのね お上人。私ね ずいぶん以前から老人介護の施設でボランティアしているんです。お話し相手になったり、身体を拭いて差し上げたり、お食事を食べさせてあげたり、別に大したことはできないのですけど。中には私より年配の方もおられましてね、そんな時、自分の健康に感謝しながらお世話させていただいてますの。
八十才 女性
あのね お上人。私ね 朝昼晩の食後にね 全部で十以上の薬を飲まんならんのです。それ全部飲もう思うたらね、コップに2杯の水がいりますねん。私ね またコップ2杯の水飲まんならんか思うたら、食欲がなくなりますねん。
七十五才 女性
あのね お上人。私ね 心臓が悪いので、大学病院に何十年て通うてますでしょう。この間、主治医の先生から「久しぶりに検査入院してもらいましょうか」と言われましてね。家に帰って娘にね「もう 検査なんてしとうない」て言いましたの。そしたらね お上人。うちの娘ゆうたら「何言うてんの!あのね お母さんなんか、ほっといたら、もうすぐ死ぬねんで!それを先生が生かしたろうて、言うてくれてはるんやないの!先生に感謝して、見てもうといで!」て言いますの。はらがたちますやろ~。
九十才 女性
あのね、お上人。私ね、今年から年取るのやめよう思いますねん。
八十才 女性
あのね、お上人。私ね、こないだ、孫がいっしょに行ってくれるって言うんで、九州へ旅行に行ってきたんです。それでね、バス観光の途中で、フッと気付いたら、ウエストポーチの財布がないんです。私ね、財布とられたって、孫に言ったんです。そしたら、「おばあちゃん、落としたんやろ」って孫は言うたんですが、私ね、今まで物を忘れたり、落としたことがないんです。この頃、泥棒やひったくりに注意って言いますやろ、だから、てっきり盗られたんやと思ってね、まあ、旅行の時はお財布二つ持つようにしてて、二~三万円ほどやったし、でもね、盗られた財布は主人の形見だったんでね、ちょっと、悔しいけれど、あきらめようと思ったんです。ところが、私はムダやって言うたんですけど、孫がバスの添乗員さんに届けたんです。そうしたら、添乗員さんが、あちこち寄った所全部に問い合わせて下さってね。それで、途中で寄ったお土産物屋さんから、お金もちゃんと入ったまま出てきたんです。みんな、「よかった、よかった」言ってくれましてね。バスの運転手さんも「観光が終わったら、車庫に帰る途中やから、送ってあげる」て言うてくれはるし、私ね、みんなにえらい世話になったんです。自分で落としときながら、盗られたやなんて、人のせいにしたことがはずかしかったですわ。 あのね、お上人。私ね、人の親切がありがたいって、この年になって、初めて解りましたわ。
七十五才 女性
あのね、お上人。我が子には、「こうあって欲しい」とか「こうなって欲しい」と思いますやろ。でもね、子供はね、親の願い通りに育つんやなくて、親のように育つんですなぁ。
五十才 男性
あのね お上人。こないだ、家の中にイタチが入り込みましてな、家族中で大騒ぎでしたわ。傘で追い立てたり、スリッパ投げたりして、やっと窓から追い出したんですけど、イタチのやつ、去り際に「もう、イタチマセン」て言うとりましたわ。ハハハ・・・。
六十五才 男性
あのね お上人。この頃ね、運動不足なんで体がなまったらいかんと思いましてね、久しぶりにゴルフの練習に行ったんです。そしたらね、握力が衰えてるんですわ。情けないかな、ボールといっしょにクラブも飛ばしそうになったんです。 それでね、そのことを夕食の時、家族に話したんです。そしたら、うちの小学校行ってます孫も、その話聞いとりましたんでしょうなぁ。 数日して、『ハンドグリップ』を自分の小遣いで買うて来てくれましてなぁ。「おじいちゃん、これで握力きたえて」て言うてくれたんです。私、嬉しくてね~、涙が出ましたわ。 それからね、毎日『ハンドグリップ』で握力きたえてますねん。
七十才 男性
あのね、お上人。私ね、ついこないだ、こけましてね、骨折ってしまいましてん。いつも、こけたらいかん、こけたらいかん思うて、用心してたんですけど。そやのに、息子やら娘がね、「なにしてたんや、そやから気付け言うてたやろ」て、言いよりますから、「こけよう思うて、こけたんちゃう」て、言うたりましてんけど、情けないやら、悔しいやら・・・。
八十才 女性
あのね、お上人、こないだお正月迎えた思うてますのに、また来ますんやて、一年言うたって早いもんですな。まあ、この年になるまで、いろんな事ありましたけど、あっという閒でしたわ。そやけど、お医者さんでお薬待ってるの、何であんな長う感じますんやろうか?。
九十才 女性
「あのね、お上人。私ね、お経もほとんど読めんし、意味もよう解らんのやけど、お寺にお参りしたら、なんか、その空気というのか、雰囲気いうのか、そんなもんにホッとするんです」
これはある檀家さんが、私に仰られた言葉で、このお話しをいただいた時、私は本当にうれしく思いました。
あまりにもうれしかったものですから、この方がお寺で感じた「気」というものとは、いったい何なんだろうかと考えてみたのです。
そこで、「き」あるいは「け」を字音とする「気」について辞書を開いて見ますと、あるものが発する目に見えないもの、ただよっているものとか、心に感じられる様子、心持ちといった説明がなされていました。
さらに例として、天気・空気・電気・気温・景気・浮気・病気・元気・気分・気配・気品・気色など、普段何気なく使っている言葉が数多く紹介されていていることに驚かされたのです。
この「気」の付く言葉たちを見渡して、私なりの言葉で「気」を説明してみると、「何とかなりそうで、何ともならなくて、何ともわけのわからないもの」という何だか解らない表現になりました。
しかし、お寺に具わっているそんなわけのわからない「気」ではありますが、千年以上にわたるお寺の歴史の中で、その寺の住職さんと檀信徒の方々が、一生懸命に培ってきたものであることに間違いありません。
私は、そんなホッとできる「気」がお寺の中に生き続けることを願ってやみません。そして、お相撲の行司さんが「見合って、見合って、発気ようい、のこった、のこった」と土俵の「気」を見分けているように、このお寺の「気」を見守っていきたいと思います。
あのね お上人。この前ね、お医者さん行こう思うて、出かけたんです。そしたらね、目が霞んで、あたりがぜんぜん見えませんの。困ったことになったなあと思うてね。でも、後で気付いたんですけど、メガネ懸けるの忘れて出かけてたんです。
八十五才 女性
あのね、お上人、この前、幼稚園の孫つれてお墓参りに行ったんです。そうしたらね、うちの孫が「おばあちゃんがこん中入ったら、毎日お花持って来たげる」て、言うてくれたんです。
七十才 女性
あのね お上人。私おさんどんが苦手なんです。だから、主人と息子のために食事を作るのが大儀でしたの。でも、主人を亡くし、息子が独立して初めてわかりました。あの食事の中に私の分も含まれてたんですね。
六十才 女性
あのね、お上人、今年で結婚して三十年を迎えましてね。それで、永いことご無沙汰してた仲人さんにご挨拶に行こうと思うて、電話したんです。 それでね、今までのご無沙汰わびて、事情説明して、ご挨拶に行くと言うたんですけど、なんぼ説明しても、ご返事がないんです。かなりご高齢なんで、お忘れになったのかなと思いもって、それでも、次の日おじゃましたんです。 そしたらね、仲人さんのご親戚にね、私と同姓同名の人がおられて、最近亡くなられたそうで、ですから昨日の電話、あの世からのお迎えの電話やと思うて、頭が真白になったって、言うてはりましたわ。
六十才 男性
梅雨空のうっとうしい頃、バイクで走ることの多い私共にとっては、とてもやっかいな季節であります。
しかし、お寺の境内では、紫陽花がきれいな花を見せてくれていました。お気付きの方もいらっしゃるでしょうが、近年その数も種類も増えてきています。実は、お檀家のお花作りの達人が、株分けしてお寺に下さっているからです。
その中の一つに『ブルーキング』という紫陽花があります。その名のとおり、真っ青な大輪の花がみごとに咲く、私の母のお気に入りのお花です。ところが、鉢植えで頂いたこの花を、昨年路地植えにしたところ、真っ青な花が真っ赤に変わってしまいました。
母は、境内で真っ赤な『ブルーキング』を見るたびに「なでやろう?」とつぶやいて、仕舞いには「あんた、なんか変な事したやろう」と、私の仕業にする始末でありました。
困り果てた私は、さっそく達人のお檀家さんに相談したところ、紫陽花という花は、酸性の土壌なら青く、アルカリ性の土壌なら赤い花を咲かすそうで、心配しなくても、土壌改善を続ければ、そのうち元の色に戻るでしょうとのことでありました。
紫陽花は、別名「七変化」といい、その花言葉は「移り気」だそうです。私は人間といっしょだなと感じました。お釈迦さまが「人の心は、何処までも、何処へでも移ろう」とおっしゃっているとおり、嫌な話を聞けば心が塞ぎ、善い話を聞けば心が温まる。ちょっとしたことで、落ち込みもすれば、浮かれもする。紫陽花がどんな気持ちで、花の色を変えたのか、私たちには解りませんが、きっと、突然新しい環境を与えられ、戸惑いながらもその中で一所懸命に花を咲かせようとして生きているのだと思いました。
人が、ほんとうの幸せが何か悩みつつも、幸せになろうとして生きているように、草木は花を咲かせて幸せになろうとしているのだと思います。『ブルーキング』とよばれる紫陽花にとって、何色の花を咲かせることが、ほんとうの幸せなのか解りませんが、母の手前もありますので、立派な青い花が咲くように育ててみようと思います。
あのね お上人。私ね、老人介護センターで働いてますでしょう。毎日、大勢のお年寄りのお世話させてもらってるんです。私にも、四国の実家に母がおりましてね『デイサービス』を受けてるんです。なかなか顔も見せてやれませんけど、私がこちらのセンターで、一生懸命にお世話してたら、きっと実家の母も、誰かに親切にしてもらっていると思って、がんばってるんです。
六十才 女性
あのね お上人。天気予報より、私の膝の方が、よう当たりますわ。
七十才 女性
あのね お上人。東京に出とります私の息子がね。こないだね 『おれや おれや おかん 困ったことになったんで、金を送ってくれ』て、電話かけてきましてん。びっくりしまんがな~ 私『どないしてん!』て言うたら、この頃 おれおれ詐欺が流行ってますやろ、息子の奴 私がだまされへんか心配して ためしよりましてん。息子の声かどうかなんて、すぐ解りまんがな~ 息子ももうすぐ五十才でっせ お上人。あいつ ほんま アホでっせ。
七十才 女性
あのね、お上人、うちのお姑さんゆうたらね、私が出かける言うたら、きまって、しんどくならはりますねん。
四十才 女性
あのね お上人。私ね、この頃、物忘れが多なったんで、ボケてきたんちがうかなと心配になってきてね、主人にそう話したら、「心配すな、前からじゃ!」て言われましてん。
七十才 女性
あのね お上人。うちのお母さん『デイケァー』に行ってますでしょう。行き始めの頃は「厄介払いしょう思うて!」なんて、いやみ言うてはったんですけど、この頃はね、お迎えが来はる三十分以上も前から、玄関で待ってはるんです。お母さんが、すごく楽しそうなので「よかったなぁ」って思ってるんです。
五十才 女性
お医者さんに一本とられました・・・
「最近、カゼが流行ってますから、お上人も気を付けて下さいよ。」
「ありがとうございます、でも私はアホですから、カゼひかない事になってますので。ハハハ・・・」
「そやから言うてますのや、あのね、お上人、この頃のカゼはアホもあいてにしますのや。ははは・・・」
(六十才 男性)
あのね、お上人。わしね、腰もひざも、ほとほと、どうにもなりませんのや。そやから、毎日、医者に通うてますんやが、それでも、先生ゆうたら、ひつこうに、「歩け歩け」て言いよりますんや。そんで、わし、先生に、「歩けたら、こんな所来るかい!」て、言うてしまいましてん。
七十五才 男性
「あのね お上人。こないだ買い物に出かけた時にね、保育所の散歩に出くわしたんです。保母さん二人が十人ぐらいの園児を連れてはったでしょうかね、一人の保母さんは赤ちゃんも抱っこしてましたわ。そしたらね、一人の女の子がぐずってたんでしょうね、ちょと遅れて歩いててね、保母さん困ってはったんです。私ね、同じ方向に行くの解ってたんで、その女の子に『おばちゃんが手つないだげるから、いっしょに行こ』て言うて、手を出したんです。そしたら、その子、今までダラッと下げてた手をサッと胸元へ引っこめて、慌てて保母さんのとこまで走って行たんです」と檀家の奥さんがお話し下さいました。
そしてこの後、それを見ていた保母さんが駆け寄って来て、丁寧なお礼とお詫びの上で「立場上、子供たちには、知らない人に着いて行ったらいけませんと教えているものですから」と言われたそうです。
またかと思うほど子供の連れ去り事件が伝えられるたびに、大人たちが不安にかられ、親も保母さんも学校の先生もニュースキャスターも、知らない人に気をつけろと子供たちに教えています。核家族になって、辺り一面他人ばかりがひしめく現代社会のなかで、子供たちが人を信じれなくなってしまうのではないかと心配した奥さんが、私にこの出来事をお話し下さったのです。
護られるはずの学校にも、近所の公園にも、安全であるはずの自宅にさえも不審者が侵入し、子供たちを傷つけています。こうした事件が起こるたびに、不安になった親の気持ちが子供に伝わっているように感じます。
勿論、子供たちに注意を促すことも大切ですが、それと同時に安心を与えることを忘れてはならないと思います。日常、私はご年配の方と接する機会が多いものですから、孫さんがおいでになるおじいさんおばあさん方に、どうぞ盛大、孫さんを可愛がってあげて、大の字になって安心していい場所があるんだということを教えて上げて下さいと、お願い致しております。
人は優しさにふれて、優しさを覚え、そして感謝することを知ります。しかし、不安な気持ちで孤独になると、そこにはむなしさが広がるばかりです。
あのね、お上人。うちの主人ね、体壊してから、リハビリしてますやろ。でもね、主人ゆうたら、体がえらいのか、どうもリハビリに身が入らんのですわ。そうやから、私、がんばってもらおうと思うて、いつも、きつう言いますんや。そしたら、こないだ、うちの小学生の孫が、それを聞いてて、「おばあちゃん、おじいちゃんに、もっとやさしくしてあげて」て、ゆうてくれましてなぁ。私、涙が出そうになりましたわ。
七十五才 女性
「あのね お上人。私もね、去年で七十になったものですから、暮れの年賀状にね、「余生を有意義に生きたいと思う」と書いてみたんです。 ところが、書いてみたもののね、はてさて、有意義に生きるとは、どうしたものかと考え込んでしまいましてね。困ったもんですわ。」
七十才 男性
世も末だと感じざるを得ない最近のテレビ、新聞の報道の中で、私たちは何も信じる事のできない時代を生きています。
ほんとうに信じられるものを考えたとき、家族や友人を思い浮かべる方が多いでしょう。しかし、いつか必ず別れの時を向えます。生まれてくる時も独りなら、死に行く時もまた独りなのです。
独りぼっちで切なくて、やはりお金しか信じられないのかと考えてしまうと、それはあまりにも寂しいのです。
スーパーに並んでいる牛肉パックの表示や、食品の賞味期限が信じられず、大騒ぎになったように、私たちは信じられないと不安でしかたなく、信じられると安心して暮せるようです。
人は何千年も前から、どんな時にも決して揺れ動くことのない心の拠り所を宗教に求めてきました。
どの宗教も必ず信じる事を求めます、それは「信じて生きる」生き方に、ほんとうの幸せがあるからなのです。

本行寺の祖師堂に安置されている日蓮聖人像は、上の山のお祖師さまの名で親しまれている。大覚大僧正開眼といわれるこのお祖師さまは、服部上の山本照寺が、天文の法乱に焼け落ちた時、密かに何者かによって岡山に逃れたという。しかし夜な夜な、お堂の中から泣き声がするので、堺の地に移された。そこで又泣き声が絶えないので、早く高槻に帰そうということになった。
その後久しく何処に移されたかわからなかったが、法華宗禁制下の高槻の西天川村礒村氏宅の倉の中で、夜祖師像の泣く声がするという噂がたった。この表現がいかにもおもしろいと思う。有力者の倉の中である。人はそこに仏像がかくされているとは口に出して云えない。そこで夜通ったら泣き声を聞いたと表現するのである。
法華宗の禁制がとかれて本行寺が創立され、このお祖師さまは泣くことをやめたと伝説は語っている。しかしお祖師さまは泣いてなんかいらっしゃらなかったに違いない。只涙を流し続けておられたことだろう。ほかでもない。いつもお祖師さまはとめどもなくわきあがって来てどうにもならない涙でぬれた魂で、法華経のことを思いいたされていたのであるから。
〒569-0078
大阪府高槻市大手町2-43
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日啓上人(第三十四世)が昭和二十一年一月十七日、六甲山上に平和観音堂を建立す。激戦地の土を入れ英雄のみたまに捧げる観音像を造る。名古屋の陶工清風師の作である。
毎月十七日永遠の平和を祈り戦没者の慰霊をつとめ続けるも、五十年目にして立退きを申し渡され、本行寺に移転安置される。その翌年一月十七日阪神大震災が起こり、初講の日の災難をまぬがれる。

大黒さまの縁起をたどると、インドの神様で「マハーカーラ」といい、漢字では「摩訶迦羅」と表されます。マハーは大、カーラは黒(または時)ですから、これは文字通り「大黒」です。そしてマハーカーラという神名は、インド三大神の一神シヴァ神の別名であります。シヴァ神は、インドの神々の中で最も人気があり、破壊とその後の再生を司り、再生至福・施薬の神また食物を供給する神として厚く信仰を集めてきました。そして大黒さまは仏教の中で、毘盧遮那仏の化身として、夜叉鬼を降伏させるために戦闘神となって現れてきます。日本で祀られるようになったのは、伝教大師最澄が比叡山に安置してからと云われています。
一般に大黒さまというと、大きな袋を肩にかけ、右手に打出の小槌を持ち、米俵の上に立ち、そしてニコニコと笑っておられる様子を思い浮べます。しかし、このようなお姿は、鎌倉時代後半から室町期にかけて現れ始めたようです。
インド本来の大黒天はと申しますと、一面六臂、一面八臂か或いは三面六臂(三つの顔と六つの腕を持っている)の形相で、少しも福神らしい面影はなく、恐るべき戦闘神でありました。インドの神々は、その力の象徴として、多面多目多臂の形相が多く見られます。それがインドにおいても、中国唐の時代には、食物・施薬・魔除けの神として食堂などに祭られるようになりました。
中国を経て日本にやってきた大黒天は、大国主命と習合するという一大変貌を遂げました。大国主命を音読みすれば「だいこく」であるために、大黒天と合体したのだと云われています。このためにネズミが大国主命を救ったという伝説に由来して、大黒天の縁日が甲子になったのです。
インドで生まれた大黒さまは、このように変貌を遂げ、時の流れを司り、魔除けの神、施薬の神、富・出世の神、食物の神、家屋・子孫繁栄の神等として広く信仰され、現在に至っています。こうした福徳円満なる「福神」としての性格が強まり、反面「戦闘神」としての性格が弱まってきたなかで、厳しい形相から笑みを湛える現在のお姿に変わってきたようです。
宝袋を背負い、打出の小槌を持って、米俵の上に乗っていれば、誰だって笑っていられるような気がします。しかし、どんなに幸せそうに見える人でも、辛さ、悲しさ、悩みを抱えて生きています。それでも、それをそっと胸の内に秘め、或いは握りこぶしの中に隠してでも、心から優しく微笑んでいようとすることが、大黒さまの修行だと思います。
大黒さまは、多くの財宝を持っているから笑っているのではなく、笑っている大黒さまの処へ、それらが誘われ、やって来たのです。
笑いに始まり笑いに終わる福神は、「笑う門には福きたる」という格言に言い尽くされているように、笑うこと自体が福を招く祝言であり、福神は七福神の軸画に見られるような笑いの神でもあったのです。
十年ほど前から境内で蓮の花を育てております。 昨年は春から梅雨にかけての長雨が影響したのでしょうか、例年なら七月の半ばには咲き終わる花が、お盆時分に満開を向かえました。 私どもが拠り所とする経典「妙法蓮華経」の蓮華とは、この蓮の花を意味します。 汚い泥の中で育つにもかかわらず、その色に染まることなく、凛として美しい花を咲かせるこの蓮の花のように、私たちも生きなければというお釈迦さまの教えであります。 安心して過ごしたいと思っているのに、不安な話ばかりが聞こえてきて、なぜ、こんな世の中になってしまったのだろうかと嘆いていてはも、泥の色に染まるばかりです。 幸せでありたいのなら、沈んでしまわないうちに、自分の出来ることを、それがたとえささやかな行いであったとしても、誰もが安心して暮らせるように努めなければならないと思うのであります。







| 行事日 | 時間 | 行事内容 |
|---|---|---|
| 一月六日 | 九時〜十二時 | 初祈祷会・がん封じ |
| 一月十日 | 午後一時より | 大黒祭 |
| 二月三日 | 九時〜四時 | 厄除け・入学祈願・がん封じ |
| 午後七時より | 節分星祭 | |
| 三月春分の日 | 午後二時より | 彼岸会 |
| 五月三日 | 九時〜四時 | 神経痛まじない |
| 七月十五日 | 午前八時より | 一万遍のお題目修行 |
| 土用丑の日 | 九時〜三時 | 小児かん虫封じ |
| 八月二十日 | 九時〜三時 | 盆せがき |
| 九月一日 | 午後一時より | 精霊送り |
| 九月秋分の日 | 午後二時より | 彼岸会 |
| 十一月三日 | 九時〜四時 | ぢ封じ・ぜんそくまじない |
| 十一月十一日 | 午後二時より | 法難千部会 |
| 十二月十二日 | 午後二時より | 御会式火焚祭 |
| 毎月一日・十五日 | 一時より | 祈祷・法話 |
| 毎月六日 | 九時〜十二時 | 病気祈祷会 |
「あのね お上人。この頃ひったくりに注意って言いますやろ。実は私、歩いてる時、学生服着た子とすれ違うのが怖いんです。でもね そう思うてしまう事の方が、いやなんです。」
七十才 女性
「あのね お上人。私ね 毎月主人の命日にお墓参りに行くんです。そしてね お墓の掃除が終わったら、押して来た手押し車に座って、あった事みんな報告して、家族の事とかいろんな事を一時間ほどお願いしてますねん。他所の人が見てはったら、きっとおかしい思いますわ。ひょっとしたら、主人も『おまえ もう来るな!』て思うてるかもしれませんわ」
八十才 女性
「あのね お上人。私ね 今、ほんとうに幸せなんです。息子も、嫁も、孫もほんとうにようしてくれるんで、喜んでますねん。そやけど、もうじき あっちからお迎えが来ますやろ、それが心配ですねん」
「そんな何時来はるかわからんお迎えのこと心配せんと、そん時まで、お元気で幸せに過ごせるようにと考えて下さいよ」
「でもね お上人。私ね 若い頃から、先立った主人に全部頼って生きて来ましたやろ。そやから そん時、私ひとりでよう行けるやろうか、やっぱり心配ですねん」
「大丈夫ですよ。ご主人は本当にやさしい方でしたから、奥さんが往かはる時には、必ず迎えに来てくれはりますって」
「そうやったらよろしいのやけど・・・・」
「奥さん そんなに心配やったら、私 奥さんが往かはったら、必ずここに来て、『迎えに来てあげて下さい』と、ご主人に頼んで差し上げますから」
「ほんまですか!ほんまでっせ!もし嘘ついたら、私、お上人に恨んで出ますからな!約束でっせ!」
八十才 女性

当山は、高槻市大手町にあり、日蓮宗・常智山本行寺と号し、題目宝塔、釈迦多宝二仏を本尊としています。
その昔、高槻大蔵司村付近の丘陵に岡本寺という寺があり、文武天皇の時代(白鳳時代)の豪族の氏寺と推定されます。その寺跡に日蓮宗本照寺が建立され、戦国大名の三好元長、細川晴元の外護を受けて隆盛をきわめますが、法華一揆に続く、天文法華の乱に、あえなく焦土と化しました。三好長慶により毘沙門堂として再興されますが、高山右近公の時代に、その堂宇ことごとく焼き討ちされ、住職は上の山の祖師像(本行寺に現存)をもって備前(岡山)に逃れたとされています。後に復帰がかなうのですが、他宗との折り合いがつかず、現地復帰及び元の寺号の呼称が許されませんでした。
しかしその後、慶長元年(1596年)、一如院日重上人(後に身延山二十世法主)が、弾圧下の法華の住民と協力一致尽力して、高槻城下に日蓮宗を再生させ、常智山本行寺と号しました。当時はまだ本堂を造営することもできず、ささやかな寺院にすぎませんでした。

その後、第五世日東上人のとき、永井直清公が高槻城主となりました。そのころ、直清公には内願があって、古曽部の弁天に祈願されていたのですが、意のままになりませんでした。そうしたなか、本行寺の日東上人の名声を聞かれ、ぜひ祈祷を受けたいと申し出られ、さっそくに祈念されたところ、たちまちにご利益があり内願が成就されましたので、大変お喜びになり、以後深く信仰されました。
そうして、この内願成就の報恩のために、本堂を建立されました。寺の記録によりますと、このとき大工百人、人足千人をもって造営にあたり、みるみるうちに完成したとのことで、これによっても直清公の信仰の程がうかがえます。ときに慶安四年(1651年)六月六日のことでした。同月十六日、直清公は完成後初めて本行寺へご参拝になり、「当本行寺は、高槻城の艮の方角にあたるところから、京都比叡山に準じて、当城下の安全と厄除けの道場となすべし」と重ねて命じられました。

その後、本行寺は高槻城主祈願所となり、連綿として打ち続き、「病を除く寺」として現在に至ります。境内には、本堂をはじめ妙見堂、大黒殿、客殿、鐘楼などがあります。本堂の正面には、「唱導殿」と記した大きな額が掲げてありますが、これは、高槻城主第十代永井直興の子直寛の書(文政年間)によるものです。
直寛は、米庵に師事し、書や詩が非常に堪能であったと伝えられています。また、当山の山門は高槻城の一角にあった門といわれています。このほか、詩人藤井竹外の墓が世に知られるところであります。

事前に、日時をお約束の上、随時承ります。

現在塔が建っている場所には、かつて樹齢数百年の大松があったが、昭和二十年代の前半、台風により地響きをたてて倒れたという。その跡地に、昭和六十一年六月、「法華経守護神の塔」として建立された。

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